今日は信濃毎日新聞です。

今日は発行部数43万部の信濃毎日新聞に意見広告を掲載しました。

長野県でのシェアが最も多い昔からの新聞です。長野では大半がこの新聞を読まれているとのこと。そして今回は総勢9人の共同拠出ですが、圧倒的に多くの拠出をされた和ナビィさんと風樹さんのお二方をご紹介します。

まずは、和ナビィさんのご紹介から。和ナビィさんは現在67歳。長野県小諸市在住の主婦の方、お子様が3人それぞれ独立して家庭を持っているそうです。お孫さんが5人もいるので家族の昼食の世話、孫たちの世話をしながら自営業をされているとのことです。

「食」が心身の免疫力・抵抗力の基とこれまでの経験から実感していて、お店(会社)で働いている5人のスタッフにもおかずを差し上げていらっしゃるから、その方々からいつも野菜を大量に頂く材料がいつも豊富になるそうです。

ワクチン接種が始まり和ナビィさんの身の回りでも副反応の酷さを耳にすることが頻繁になりました。

「知り合い、友人、スタッフ、出入り業者の方。職場に救急車を要請したことさえあります。知人の死亡もそれが疑われますが、いずれも因果関係不明として処理された模様。また『ワクチンとは関係はありません』と医者から断定されクギを刺されるケースも聞きます」。

和ナビィさんはさらに深い問題を指摘します。

それは「そっとしておいて」「ワクチンは自己責任、自分は間違ったことしてないと思いたい・・」という「接種を受けた側の心理」。そして、それらに起因する「声が挙がり難い構造」です。

前にもふれたように、和ナビィさんは5人の孫がいるおばあちゃんです。

その内3人のお孫さんの世話を毎日のようにしていて、その友達も何人も遊びに来て、元気な子供たちとずっとつきあっていらっしゃいます。この子達にもあのワクチン接種が迫っている。将来に影響が及ぶかもしれない。いてもたってもいられなくなりました。子供を守り育てるのが国の役割であり、大人の責務のはず。

そこでまず、地元の新聞広告折込センターに依頼して小諸市の購読者に本件のチラシを入れようと試みたものの「本社の規定により不可」と断られてしまったため、リベンジの機会を伺っていたそうです。そして公的に発表された資料を基に、図表を用いて分かり易く伝え訴える意見広告を見て「これだ!是非長野にも! 」と思われ、広告費の収支を決意したそうです。和ナビィさん、本当にありがとうございました!


続きまして長野県在住、風樹さんのメッセージをご紹介します。

私は14歳まで感染対策を講じていたのに毎年インフルエンザに罹ってしまい、諦めて感染対策を止めた15歳から30歳の現在まで全く罹らなくなりました。

不思議に思い、ある時に馴染みのお医者様に尋ねた際、罹らなくなった理由はハッキリしなかったものの、インフルエンザは毎年1千万人の患者を出して1万人亡くなっている話を教えて頂きました。故に2年前の新型コロナウイルスが日本で騒がれても全く実感が湧かず、「インフルエンザと比べて大した事ないのでは?」と呆気にとられた中で、小林よしのり先生のライジングとコロナ論を読んで「やっぱり」と納得しました。

その後から現在まで続く状況にうんざりしている中で「コロナワクチン」が話題になった辺りで、小林よしのり先生のコロナワクチンに対する疑念に加え、入社2年目の理系出身の社員の子から「(学生時代)あのワクチンの技術に関する論文があったのですけど、完成するまであと10年以上かかるって言ってたのですよ。」という旨の話を耳にして「常識で考えて危ない!」と確信に確信が重なりました。ちなみにその子も打っていません。

今回、私が私財を投じた背景は、幼少期に見聞きした「山一争議」と「満洲引き上げ」があります。「山一争議」は山本茂実『あゝ野麦峠』にも記載されている日本史上初の製糸の大規模ストライキであり、私が住んでこの文章を書いているこの場所で起きました。

当時の女工の労働条件は極めて劣悪で、朝は朝星 夜は夜星の労働時間、成績が悪いと検番に殴られ、消化に悪い昼食の麦飯で身体を壊し、諏訪湖に身を投じる女工が何人もいました。

ちょっと脇道に逸れます。幼い頃あちらこちらにお地蔵様がポツンと立っていることが気になり、祖母に尋ねたら「あれはね、昔諏訪湖に身を投げた人を祀っているんだよ」という返事が来ました。子供だった当時はピンとこなかったのですが、成長し『あゝ野麦峠』を読んで、通っていた中学校の裏庭で入水自殺した女工を火葬していたという記述に戦慄しました。

話を戻して「山一争議」で会社は組合に徹底的に攻撃し、組合は悲惨な敗北を喫しました。

そのときの信濃毎日は「–獣畜をだにおびやかす飢渇でおわんとするは人情の忍びざる所、されば動物愛護運動が是認されるのに–まして相手は人間である。しかも白昼公然、少なくともわれら長野県において同胞の子にむかって飢餓のいたるを以ておびやかす工場主の存在するを–実に長野県の大なる恥辱でなくて何であろう。あえて問う、岡谷に人道はありや、なしや」と書きました。

「満洲引き上げ」は満蒙開拓平和記念館を訪れた以上に、藤原てい『流れる星は生きている』を読んで非常に大きな衝撃を受けました。文意を曲げてしまう恐れがあるので、故・藤原ていを謗るのではと、引用するか悩みましたがどうかこの引用文を読んで頂きたいです。

「(親子が極限の飢えに苦しんでいる中、親子の目と鼻の先で白米を食べている人がいる記述の後)世の中に残酷ということばがある。それはこの場合のことを言うのだろう。あの人は自分で知らない大罪をおかしている。人間のいかなる部分に加えられる残虐よりも、食べられないということを自覚させるほど大きな罪はない。」

私は配偶者や子供を守って生活をするほどの給料はもらっていない、大したことのないどこにでもいる製造業の会社員です。そんな私でも公論サポーターの先輩方、特に東海支部隊長は暖かく迎えて頂き、小林よしのり先生には熱いエールを送って頂いて、何か今の自分でも社会の役に立てないかと模索する中で地元の「子ども食堂」の存在を知りました。

「比較的雇用がマシなこの地域でも『子ども食堂』があるなんて」と落胆と共に地元の役に立とうと前年有難いことに迎え入れて頂いて、楽しい1日を送らせて貰いました。

その「子ども食堂」はコロナ禍でテイクアウトになっており、子供たちも親御さんもボランティア員も本格的な再開を望んでいるのに所謂「第六波」で1月はテイクアウトすら行われませんでした。恐らく来月も開かれません。いい加減にしろよ日本人は!また歴史を繰り返して!自分達の食い扶持があれば諏訪湖に身を投じようが満洲で飢え死にしようが、コロナ禍で女性と子どもの自殺が増えようが知ったことではないのか?どこに違いがありますか!戦前の国策製糸業と満蒙開拓、戦後の国策ワクチン接種。

多くの死者を出したのに岡谷の生糸も満洲の土地も何ひとつ残っていない。ワクチン接種も全く同じ、何も残らない国策で何人殺せば気が済むんだ!私も過去の惨事を知っていて、いま正に行われつつある惨事に目を背けることはできません。直近では昨年内親王様が御成年されたので、一般参賀はさぞ盛り上がると思っていたら中止。上松町の御嶽海関が優勝(直後に大関昇進)したのに国家「君が代」を合唱しなかったことに腹が立ったこともあります。乱文長文悪文失礼しました。信濃毎日新聞と信州人の良識が発揮されることを願って。

風樹さん、本当にありがとうございました!